縄文・弥生の原始時代には、荒川区の地域は大部分が東京湾で、日暮里の台地だけが岬となっていました。この台地からは道灌山遺跡や日暮里延命院貝塚も発見され、当時集落があったことが確認されています。
江戸時代には、近郊農村地帯として注目を集め、汐入大根・荒木田大根・三河島菜(漬け菜)などが有名でした。
明治時代になると大工場が相次いで設立され、工業地帯が形成されていきました。大正2年には王電(のちの都電)三ノ輪~飛鳥山下(現在の栄町)が開通し、宅地化が進みました。南千住・三河島・尾久・日暮里の4つの町が一つになって荒川区が誕生したのは昭和7年のことです。
第2次世界大戦では、区内面積の約45%が戦災に遭いましたが、住宅や工場が急速に再建され、住工混在の街を形成しました。昭和40年以降は産業構造の変化や、工業規制などにより、大工場の移転・廃業が続きましたが、その跡地が新たな街づくりの拠点となっています。